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『GLAY』 JIROの昔の物語まとめ!!

この記事ではGLAYのJIROさんの物語を紹介します。


JIROさんはGLAYのベースとして活躍しています。ライブに行くとJIROさんのファンが多いような気がします。いや、メンバーみんな人気なのでそんなことはないと思うんですけどね 笑

『GLAY』が好きな方はこちらの記事も合わせてどうぞ!GLAYがデビューするまでをまとめています。

音楽との出会い

1972年10月17日、函館市内でJIROは生まれました。
お父さん、お母さん、3歳年上のお姉さん、3歳下と4歳下の妹さんの6人家族の家庭で成長しました。お父さんは厳しい方だったようです。

男は男らしく、かくあるべきー。
父親が決めたさまざまルールが守られないと厳しい罰が待っていたし、口応えなどは一切できなかった。小さな頃、JIROにとってはまるで父親が専制君主のように思えた。

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お父さんのルールは厳しく、夕方五時半には全員帰宅して夕食をとらないと食事は抜きという決まりもあったそうです。一人が何かをしでかすときょうだい全員が怒られたそうです。そのためきょうだいの仲はすごく良かったとのこと。

小学生時代

小学生の頃のJIROさんはほとんど目立たない存在。スポーツが得意で性格は控えめ、友達とは誰とでも仲良くなれるけど、どこかのグループに所属するということはない、そんな小学生だったそうです。

「僕は何が好きなんだろう?僕は何をやりたいんだろう・・・」ということを常に考えていたそうです。それは厳しいお父さんに育てられたが故に、いつも何かを押し付けられてきたことで自分自身がどんな存在なのか、ということを求めていたのかもしれません。

物事を冷静に分析して、そこに自分なりのアレンジを加えてセンスを磨いていくというJIROさんのスタイルはこの頃から身についていくのでした。

中学時代

バスケをやったら絶対カッコよくなるし、モテるからさ

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というお姉さんの勧めで中学ではバスケット部に入部。そしてこれには身長が伸びるはずという期待もあったそうです。けれども部活動は期待していたものとは違いました。一年生のJIROさんたちはいつも球拾いばかり、そして威張りちらす先輩たちと何も反発しない同級生たちへの不満を抱く毎日でした。そしてJIROさんは1年間ほどしてバスケット部を辞めるのでした。

ギターとの出会い

JIROさんは中学2年生のクラス替えで同じクラスになった友達の部屋で本物のエレキギターに出会いました。ギターに興味を持ったJIROさんの反応が嬉しかったのか、今度は次から次に音楽を聴かせてくれたそうです。素直に感動したJIROさんは、音楽が一番興味あるものになりました。

JIROさんは中学1年の頃から新聞配達などで小遣いを稼いでいて、そこにお年玉も合わせて自分だけのギターを購入しました。最初は弾き方もチューニングの仕方もわからなかったJIROさんですが習うより慣れろの精神でギターに夢中になっていきました。

習うより慣れろだ。
とりあえず教則本を隅から隅まで読んだ。書いてある項目を一つずつギター本体の位置と照らし合わせてみる。そしてコマツから借りていたレベッカのビデオを観ながら、格好を真似て適当に想像力を加え、シェイクした。

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適当に想像力でシェイクというのがJIROさんのセンスの良さですよね〜

本格的にバンド活動

同じ中学の仲間とバンドを組み、ギターとしてバンド練習に励みました。毎週土曜と日曜に練習をするという生活が夏休みになっても続いたそうです。

毎日夢中になって練習をしいると、ある時スタジオ主催のライブのオファーがきました。今まで以上の熱量で練習に取り組み、ライブに参加したJIROさんは、ステージに立って演奏をしたということですごく満足感を感じたのでした。

バンド名『ピエロ』

高校生になり、中学の頃のバンドは自然消滅しました。それでもJIROさんの音楽への熱は冷めることがありませんでした。そして友達に誘われて“セラヴィ”というバンドに参加することになりました。

GLAYの人気

その頃TAKURO、TERU、HISASHI、ベース、ドラムという5人編成の高校3年生バンドGALYは函館で絶大な人気を誇っていたそうです。JIROのいるバンド“セラヴィ”のメンバーも全員GLAYのファンだったそうです。函館の高校生バンドにとってGLAYは函館の憧れの的でした。

当時は外からGLAYを見ていたJIROさんが、後にGLAYのメンバーになるというのがドラマがありますよね。運命はわからないものです・・・。

“ピエロ”のベース

高校生の頃、JIROさんのお父さんはバンド活動に反対していました。そのことを知っていたJIROさんはバンド活動も高校生の間までかなということを考えていました。

卒業まであと1年という頃、“ピエロ”というバンドのベースが抜けてメンバーを探しているという相談を中学時代からの知人にされたJIROさんは「ベースかぁ、俺がやろうかなぁ」と考えました。ギターからベースに転向してまでもJIROさんの音楽への熱は冷めることがありませんでした。それには、卒業目まであと1年、良い思い出を作りたいし、積極的に活動しているバンドで自分の能力を試してみたいという気持ちがありました。

JIROさんは半年間いた“セラヴィ”を抜け、ピエロのメンバーになりました。

“ピエロ”でのJIRO

“ピエロ”でのJIROさんのベースは噂になりました。

「“ピエロ”に、なんだかベースらしくないベースが入った」

ギタリストがベースを弾くと、どうしてもソロを弾いているように聴こえてしまう。そこでJIROは全体のバランスを第一に考えた。イコマがリズムを刻んでいる時は思いきり暴れ、フレーズを弾いている時はなるべく抑え目にする。一見なんでもないことのように思えるが、こうすることによってメリハリが出て、JIROのベースはいっそう目立って聴こえた。

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そしてJIROさんはベースの面白さにとりつかれていきました。JIROさんが高校3年生になった頃GLAYは東京に行ってしまいましたが、“ピエロ”はその穴を埋めるようにファンを増やしながら活動していました。

GLAYの凱旋ライブ

上京したGLAYが函館でライブをするために帰ってきた時に“ピエロ”も一緒にライブに参加しました。そのライブの打ち上げでJIROさんは初めてTAKUROさんと言葉を交わし、

「なんだ、結構いい人なんだ」

という印象を持つのでした。TAKUROは東京での活動についてこのように語っていたそうです。

とりあえず、何があってもバンドの活動だけは止めちゃだめだ。お互いやりたいことは違っても、それを成功させるためにはまず続けることがいちばん大事なんだ

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この頃のTAKUROさんたちGLAYは東京での生活に苦労しバンド活動をまともに行えていませんでした。印刷工場で働いていたTAKUROさんとTERUさんは日々の仕事をこなすのに必死で、仕事後は食事と入浴で精一杯、バンド活動の時間を確保するには相当な意志の力を必要としました。

生活が仕事に埋もれてしまい、東京に何しにきたのかを忘れてしまうという危機感を感じていたTAKUROさんは夢の為に3ヶ月で仕事をやめました。

新しく加入したメンバーにGLAYを知ってもらい、好きになってもらう、そして高校時代のあの感覚を取り戻すんだ、という気持ちで最初のライブを函館にし、やってきたのでした。

TAKUROさんの自分自身に言い聞かせるような「バンド活動だけは止めちゃいけない」という言葉はJIROさんの心に深く残りました。

JIRO東京に行く

東京への想い

JIROさんは“ピエロ”でのライブを重ねるうちに手応えを感じていました。もしかしたらこのバンドでプロになれるかもしれないという淡い期待が、バンドは卒業までという心を激しく揺さぶっていました。“ピエロ”のメンバーは東京に行くことを決めていました。

JIROさんも東京に行きたいという想いが強くなり両親に相談をすると、

お母さんは「好きなようにやりなさい」

お父さんは「ああ、いいぞ」

という返事でした。お父さんには反対されると思っていたJIROさんはその返事が意外でした。お父さんはJIROさんのことをちゃんと考えてくれていました。

東京の生活

版下の制作会社の営業として東京の生活をスタート。

東京に来てからというもの、カルチャーショックというよりも、自分の考えが甘かったことを思い知らされた。函館では、髪を伸ばしてバンドをやっていることだけで注目される。自分は人と違う。注目を得ることで自信をつけ、自分の生き方を模索してきたのだ。だが、この街ではそんな人間は腐るほどいた。

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上京した“ピエロ”のメンバーはそれぞれの生活事情でバンド活動を離れていました。一人はテクノにハマり、一人は精神的に参ってしまっていたそうです。そんなことから「お互いに好きなことをやろうか」ということになり“ピエロ”は活動を休止するのでした。

営業の仕事はうまくいっていて上司からも真面目な働きぶりを評価されていたJIROさんですが「仕事の為に東京にきたわけじゃない」という思いから10ヶ月で仕事をやめアルバイトを始めました。

バイト先にはいろんな人間がいた。劇団に入り役者を目指している者、お金を貯めては海外を巡るという旅行マニアなど、彼らの行き方を見ているだけでJIROは楽しかった。
「結局、やりたいことをやりたいようにやるのがこの街のルールなんだ」

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そう考え、東京での生活にも慣れていきました。

函館のヤツが大集結

“ピエロ”の活動はしていなかったけど、メンバーとは仲の良い友達関係が続いていた。そしてある日電話がかかってきて「函館のヤツは大集結するらしいぜ」という情報を知る。なんのことかというと、GLAYが憧れの新宿ロフトに出演することが決まり、その前祝いをするという知らせでした。

集まった函館のメンバーとの時間はJIROさんにとってすごく懐かしく、不思議な安心感に包まれていたそうです。そして、その時にTAKUROさんに声をかけられるのでした。

「最近、バンドやってるの?」

「今度、機会があったら一緒にスタジオに入ろうよ」

この言葉がきっかけでJIROさんはGLAYの活動に参加するようになり、やがてGLAYのメンバーに加入することになりました。

終わりに

JIROさんがGLAYのメンバーになるまでの物語でした。JIROさんの視点から見るGLAYの姿も新鮮です。このまとめは『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書を主に参考にしています。メンバーそれぞれの物語を知ることができます。

ABOUT ME
かつ太郎
現在は千葉県在住の一般人です。 映画、ドラマ、アニメ、本から名言を収集するのを楽しんでいます。旅行やフィルムカメラも好きで色々と楽しんでいます。  家族の影響でGLAYがとても好きです。 そんな自分の好きなことを皆さんの参考になるように紹介していけたらなと思っています!