LIFE STYLE

『GLAY』HISASHIの昔の物語まとめ!!

ここではGLAYのHISASHIさんの物語をまとめてみます。

GLAYのHASASHIさんはその独特のキャラで人気ですよね。ライブのMCなんかも面白いです。そしてカッコイイ!!GLAYの中でもかなりロックな感じがします。

HISASHI

1972年2月2日、青森県弘前市でHISASHIさんは生まれました。
外科医のお父さん、お母さん、一つ上のお兄さん、の4人家族の家庭で育ちました。

小学4年生の時にお父さんの故郷である函館に引っ越しました。引っ越してきた時にはHISASHIさんは函館のことが気に入らなかったそうです。環境が変わってしまい、友達、知り合いもいない中でHSASHIさんが望んだのは孤立でした。クラスに打ち解けるというよりは打ち解けることを拒んだそうです。

前の小学校ではトップだった成績も函館では下降していたそうです。そんな時に「塾にでもいってみたらどうだ?」というお父さんの意見を受けてHISASHIさんは塾に通いはじまめました。そこの仲間たちと仲良くなるにつれて函館の街に馴染んでいきました。

音楽が好き

自分は音楽が好きだということを漠然と意識していたそうです。
弘前に住んでいた頃のお父さんの書斎にあった立派なオーディオがすごく気になっていたそうです。ある日父親から自作のスピーカをもらい、それを自分のラジカセにつないだ時に部屋の景色が一変したそうです。それからは音楽が身近になりFMラジオの音楽やFM雑誌を定期的に買うようになりました。

好きになった音楽と同じように、何かを工夫したり応用したりすることが無性に好きだった。・・・(中略)絵を描くことはもちろん、プラモデルやラジコン、モデルガンといった緻密なものをつくるのが得意で、コラージュしたりペインティングしたりと、HISASHIは自己流のスタイルでいろんなものをアレンジし、創造していった。
そして、それはこだわりを持って自分のスタイルを貫きとおす、彼の生き方の土台となった。

『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書

中学に入学したばかりのある日

親戚の葬儀に行き、葬儀が終わった後にお父さんが救急車で運ばれました。その日HISASHIさんは親戚の葬儀にいくのが面倒で行きたくないとゴネていました。結局それがお父さんと交わした最後の言葉になってしまいました。お父さんが亡くなってしまったことでHISASHIさんの生活は変わってしまいましたが、お母さんの強さに後押しされながら新しい生活に慣れていきました。

ロック

中学2年生の時にロック好きの友達にダビングしてもらったBOOWYのテープを毎日日課のように聴いていました。ある日間違ってB面をかけたことで体が震えるような衝撃を受けたそうです。B面のバンド名には「ザ・ウィラード?」とあったそうです。そしてHISASHIさんはパンク、ハードコア、アンダーグラウンドシーンにはまっていきます。

音楽に対する憧れと、アンダーグラウンドに傾倒するHISASHIの気持ちをそのまま具現化していたのが、その頃絶大な人気を誇っていた漫画『TOY』だった。華やかさと毒を両方兼ね備えた主人公“TOY”と彼を取り巻く人間のパンキッシュなキャラクターは、HISASHIを大いに刺激した。

「ギターを買おう。俺もバンドがやりたい」

『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書

そして良き理解者のお母さんに相談してギターを購入したのでした。

高校時代

高校生になったHISASHIさんはバンドがやりたくてウズウズしていました。そして仲間とバンドを組むようになります。2年生になり、ボーカルが脱退しました。その頃HISASHIさんはよりダークでハードコアな音楽に興味を持つようになっていました。HISASHIさんのバンドには新しいボーカルが必要でした。

「じゃあ、究極のファイナル・ウエポン連れて来ていい?」
「はぁ?・・・」

ワキタが違う高校から連れて来たそのボーカリストはカワシマといった。
髪は限りなく坊主に近い短髪、筋肉隆々で、見るからにアウトローといったルックス。人間的にはすごく純朴でいいヤツだったが、口より先に手が出るタイプで、その界隈では有名だった。

<なんだコイツは。生きざま自体がハード・コア・パンクだ!>
とHISASIは思った。

「す、すごいよ、ワキタ」
なんだかよくわからなかったがカワシマの存在感に圧倒されて、HISASIはコイツしかいないという結論を出した。

『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書

“蟻”

メンバーが揃いバンド名を正式に決めることになり、メンバーそれぞれが考えたバンド名を出しながら議論をしていました。

HISASHIもワキタもシンゴも、自分たちの考えてきたバンド名を出しながら、議論していた。と、その時、

「“蟻”にしよう」

それまでじっと考え込むように黙っていたカワシマがポツリと言った。

「・・・う、うん、いいんじゃないかな、その名前」

3人とも恐くて、それ以上は何も言えなかった。

『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書

バンド“蟻”はこうして誕生しました。そして噂が広まりこのバンドは名前が知られるようになりました。

ボーカルは裸で、チェーンを体に巻きつけて唸る。曲の原型を残していない構成。周りがレベッカやサザンオールスターズのコピーをしているのに、“蟻”だけは叩きつけるような下品さだけを徹底的にふりまいていた。
だが、HISASIたちはまわりがそうやって疎んじれば疎んじるほど、その孤立ぶりに酔いしれ、さらにエスカレートしていくのだった。

『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書

すごいバンドです。裸にチェーン、パンクすぎます。同じ頃のTAKUROさんとは大違いです。それにしても“蟻”の誕生の秘話が面白すぎて笑ってしまいます。

その後“蟻”はボーカルがトラブルを起こし謹慎状態になりバンドは活動停止になりました。HISASHIさんはそれがすごくショックでやる気を無くしてしまったそうです。

GLAYへの誘い

“蟻”が解散してから、ある日、TAKUROさんに学校帰りに突然、GLAYに参加してくれないかと声をかけられたそうです。この誘った時のエピソードについてTAKUROさんの著書『胸懐』ではこのように語られています。

「君の才能を、もっと他の場所で生かしてみないか・・・・」
まるで自衛隊の勧誘みたいな感じで、声をかけたのだった。

『胸懐』TAKURO

学校帰りに突然「君の才能を・・」なんて話されたら「なんだ?」ってなりますよね。けれどもHISASHIさんはGLAYなら何か面白いことができそうだなという漠然とした予感があって軽くOKを出したそうです。

GLAYの音楽に対する姿勢にHISASHIさんは共感し、GLAYのなかに溶け込んでいきました。

終わりに

以上がHISASHIさんがGLAYに加入するまでの物語でした。TAKUROさんTERUさん、HISASHIさんが函館で同じ時代に出会ったのは本当に奇跡だと思います。そしてこの3人が高校を卒業して数年後には日本のトップバンドになり、幕張での20万人ライブなど数々の記録を打ち立てるんですから本当にすごいです。運命としか言えないですよね。

最後にこの記事は『GLAY STORY 永遠の1/4』ソニーマガジンズ新書を主に参考にしています。GLAYの4人についてエピソードが書かれているのでファンの方は必見の書です。

ABOUT ME
かつ太郎
現在は千葉県在住の一般人です。 映画、ドラマ、アニメ、本から名言を収集するのを楽しんでいます。旅行やフィルムカメラも好きで色々と楽しんでいます。  家族の影響でGLAYがとても好きです。 そんな自分の好きなことを皆さんの参考になるように紹介していけたらなと思っています!