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【GLAY結成の物語】①GLAYの誕生

はじめに

 GLAYのことを知っている方は多いと思います。94年にデビューして今でも活躍している日本のロックバンドです。そんなGLAYのリーダーはご存知ですか?ファンの方であれば当たり前のこと聞くな!!と叱られてしまいそうですが、中には知らない方もいると思います。実際僕の奥さんは僕が教えるまで知りませんでした・・・。ボーカルのTERUさんが圧倒的に認知されているようです(僕の周りの話)。

 では知らない方のためにもう一度言いますとGLAYのリーダーはギターのTAKUROさんです!

 GLAYの誕生は全てこのTAKUROさんの物語から始まっています。TAKUROさんがいなければGLAYは存在していなく「HOWEVER」「誘惑」などの名曲も生まれなかったでしょう。そしてこのTAKUROさんがGLAYのギターとしてデビューするまでの物語がすごく熱いんです。この記事ではそんなTAKUROさんの熱い物語をご紹介したいと思います。

GLAYのTAKUROってどんな人

・GLAYのリーダー兼ギタリスト

・GLAYのほとんんどの曲を手がけるメインコンポーザー

・北海道函館市生まれ

 こんな感じでしょうか。函館を訪れるとTAKUROさんの出身地というだけあってGLAYの歌詞に登場する風景はここのことかな?というような発見があったり、GLAYゆかりの場所がたくさんあってすごく面白いです。

GLAYの単行本の写真撮影が行われた坂であり、函館の観光名所でもある八幡坂

GLAYのこれまで

1994年 プラチナムレコードからのシングル『RAIN』とエクスタシーレコードからのインディーズアルバム『灰とダイヤモンド』の同時発売でデビュー

1997年 ベストアルバム『REVIEW〜BEST OF GLAY』が発売1週間で300万枚を突破。

1999年 幕張メッセにて20万人ライブ。有料コンサートとしての世界記録を塗り替えるイベントになった。

2019年 デビュー25周年のアニバーサリーイヤーであり精力的に活動中

TAKUROさんの少年時代

“永遠なんてない”という人生の心理を発見する

 TAKUROさんは3歳の時に父親が亡くなっています。そんなTAKUROさんは幼少期、毎朝布団から出ないと泣き、腹痛を起こし保育園に行かないと言い、夜中も毎晩のように悪夢にうなされ泣いていたそうです。

 その頃のTAKUROさんはお母さんとお姉さんと3人で川の字で寝ていたそうで、その3人でいられる時間が何よりも幸せだったが為に、朝が来るとその大切な時間を何とか永遠に続かせようとしていたようです。

朝の親子3人の寝床にあれほどこだわったのも、保育園に行きたくなかったのも、毎晩悪夢にうなされたのも、これ以上誰かを失うことが、怖かったからなのかもしれない。

『胸懐』TAKURO

 このように自身の本の中で綴っています。ただここで、かもしれないと綴っているのはTAKUROさん自身が3歳でありお父さんへの感情の部分が空白である為だそうです。けれども子供にとっては家庭が世界の全てであってTAKUROさんは孤独感、寂しさを抱えていたのだと思います。

 毎朝毎晩泣くという状態は小学3年生のある日まで続いたそうです。では、その小学3年生の頃に何があったのでしょうか?

 TAKUROさんは小学3年生のある日“永遠なんてない”ということを幼いなりに悟ったのだそうです。これがTAKUROさんが最初に発見した人生の心理でした。GLAYの曲の歌詞の中にはよく“永遠”という言葉が登場しますが、これはTAKUROさんが幼い頃に発見した、“永遠なんてない”という人生の心理をずっと胸に抱いて生きてきたからなのでしょう。

音楽を聞くようになったのはお母さんの影響

 TAKUROさんのお母さんは、かつてシャンソン歌手でよく歌を唄ってくれたそうです。

彼女はよく歌を唄ってくれた。
僕を寝かしつけるときも、日常の家事をしているときも。子供二人を前に並べて、練習中のシャンソンを披露することもあった。

『胸懐』TAKURO

 当時、TAKUROさんのお母さんは保険の外交員をしていました。仕事で悔しい思いをすることもあり部屋で泣いている日もあったそうです。そして涙ながら部屋でお母さんはシャンソンを唄い、唄いながらどんどん元気を取り戻し、何事もなかったように部屋から出てきて笑顔を見せてくれたそうです。そして、そのお母さんの姿をみてTAKUROさんは音楽の魔法を知り、音楽に興味を持っていくのでした。

少なくとも音楽には、一人の女性を元気にするだけの力はある。次の日に会社に向かわせるだけのパワーがある。母の姿を見ながら、僕がまず学んだのはそういうことだった。
音楽なんかなくても、人は生きていくことができる。けれど音楽には、人を幸せにする力がある。
その力の秘密を、僕はもっと知りたいと思った。

『胸懐』TAKURO

中学時代

ビートルズの衝撃

中学生になると、歌謡番組だけでは飽き足らず、貸レコード屋を回ったり、友達に借りたりして、手当たり次第に音楽を聞くようになった。

『胸懐』TAKURO

 気になっていたバンドだしちょっと聴いてみるか、とビートルズ前期のベストアルバム『赤盤』を聴いたことがTAKUROさんを音楽の深みに誘っていくことになります。そしてビートルズに衝撃を受けたTAKUROさんは曲を聴くだけでなく、目に付く限りのビートルズ関連書籍を読みあさりビートルズマニアになるのでした。

四人の中でもいちばん夢中になったのが、ジョン・レノンだったというわけだ。この頃から、僕は詩を書くようになるのだが、ジョン・レノンの影響が大きかったことはいうまでもない。彼の詩は、ことごとく僕の心の奥に眠っているものに触れた。
それからも、様々なバンドに傾倒することになる。けれど、ビートルズほどその背後にある物語まで含めて惹かれたバンドはない。

『胸懐』TAKURO

 ビートルズのアルバム『Revolver』のジャケットを彷彿させるGLAYの13枚目のオリジナルアルバム『MUSIC LIFE』のアルバムジャケットはTAKUROさんのビートルズに対する愛が伺えます。

詩を書き始める

 TAKUROさんは思春期の多感な少年の発作のように詩を書き始めたと言います。それもある日突然です。その背景にはもちろんジョン・レノンの存在も影響していたのでしょう。

詩を書けば、心の底からわき上がってくる正体不明の獣のような感情に、首輪をつけられるかもしれない。

『胸懐』TAKURO

 獣に首輪をかけるように詩を書き続け、作った詩のノートは四、五冊になっていたと言います。自分で曲を作り、いつかこの詩たちを発表したいと漠然と考えるようになりました。そして中学2年生のある日、TAKUROさんの人生を変える出来事が起きるのでした

ラジオが聴きたいんです

 中学2年生のある日、TAKUROさんはラジオ雑誌の番組欄に目を通していると十日間連続ビートルズ特集が予定されていることを知ります。なんと、ビートルズの全アルバムをオンエアするというのです。普通ならここで喜ぶところなのですが、TAKUROさんは悩みました。なんと、部活のサッカーの大会と重なっていたのです!!

 TAKURO少年は中学生になってサッカー部に入部していました。音楽小僧としての顔は「裏の顔」であり「表の顔」はサッカー部のTAKUROでした。そして練習もかなり真剣に打ち込んでいて2年生でレギュラーにも選ばれていました。サッカー部は一丸となって大切な大会に向け、毎日泥まみれになって練習をしていました。
TAKUROさんは当時の心境をこのように綴っています。

 あの時ほど悩んだことはない。いくらビートルズ特集とはいっても、たかがラジオ番組。
まさか、そのために大会には出られませんなんて、いえるわけもない。
 けれど、しかし、ここでビートルズを諦めてしまっていいのか。全アルバムを聴けるなんてチャンスは、もう金輪際、それこそ未来永劫に訪れないかもしれない。タイマー録音なんて便利な機能は、ウチのラジカセには付いていなかった。番組を聴くには、どうしてもその時間に家にいるしかなかった。
 大会に出れば、ビートルズが聴けない。ビートルズを聴けば、大会に出られない。
 悩んだ。中学二年生の脳味噌で、悩める限り、悩み抜いた。
 そして僕は、いちばん“過激な”決心をする。

『胸懐』TAKURO

 TAKURO少年のいちばん過激な決心!!

それは・・・・

そうです。あの決心です。
TAKURO少年は放課後職員室に行きました。

サッカー部を辞めると顧問の先生に話すのでした!!!

 先生の顔色が変わります。

先生:理由をいえ

TAKURO少年:「ラジオが聴きたいんです」

 この部分は何度読んでも笑ってしまうのですが、当時のTAKUROさんにとっては人生を変えるほどの決断だったのです。TAKUROさんはサッカーではなくビートルズを選んだのです。スラムダンクの三井寿の「バスケがしたいんです」と少し被って面白いです。

 そして、サッカー部を辞めたTAKUROさんはギターの練習を始めるのでした。

高校時代

GLAYの誕生

 さて、いよいよGLAYが誕生します。TAKUROさんは高校生になる頃には、なんとか曲も作れるようになっていました。相当練習に励んだのでしょう。最初に曲入りで作った歌のタイトルは『函館』だそうです。自分の育った街を歌ったのですね。

 初めて友達と結成したバンドは、活動に対する温度差のようなものもあって一年足らずで解散したそうです。

 TAKUROさんは本気でバンド活動に取り組むことを望んでいました。そしてここで遂にボーカルのTERUさんが登場します。TAKUROさんとTERUさんは小学生時代からの知り合いでした。TERUさんの小学生時代からのニックネームはテッコ。家が近かった為、よく遊んでいたそうです。ちなみにTERUさんは中学時代は野球一筋の野球少年で頭は五分刈りの小猿みたいな少年だったとTAKUROさんは綴っています。 笑

 別々の高校に進学してからは、ほとんど会うことはなかったそうですがTERUさんの噂はよくTAKUROさんの耳に入っていたそうです。

噂だけはずっと耳に入っていた。五分刈りが嫌なばかりに、高校ではサッカー部に入ったこと。仲間とバンドを組んでドラムを叩いていること。そのバンドが解散したらしいこと。

『胸懐』TAKURO

 TERUさんは始めドラムだったんです。

 そしてある時、TAKUROさんは小学生時代からの友人ヒトシさんと本格的なバンドを作ろうという話が持ち上がりました。その時にTERUさんの顔がすぐに思い浮かび、久しぶりに電話をかけてバンドをやらないかと誘ったそうです。

ひさしぶりに電話をかけて、一緒にバンドをやらないかと持ちかけると、テッコはこちらが拍子抜けするくらい簡単に答えを出した。

「いいよ」

『胸懐』TAKURO

こっちから誘っておきながら、こいつは本当に大丈夫なんだろうかと不安になるほどイージーな男なのであった。
テッコの素晴らしいのは、この時に限らず、何も考えていないんじゃないかというくらい簡単にOKするくせに、約束はどこまでもきっちりと守るというところだ。ほんとに、なんにでも一生懸命になる

『胸懐』TAKURO

 TERUさんの人柄がわかるエピソードです。楽天的なのにすごく熱い情熱を向けることができるすごい才能の持ち主です。そして実際にTERUさんは3人の中でいちばん熱心なくらいに練習に励んだそうです。

 ヒトシさんのベース、TERUさんのドラム、TAKUROさんのギター。
 こうしてボーカルはまだいませんでしたが3人のバンドが誕生するのでした。そしてTAKUROさん達はそのバンドに“GLAY”という名をつけたのでした。

GLAYの誕生です!!

 遂にGLAYが誕生しました。TAKUROさんとTERUさんの出会いって本当に運命だと思います。函館で出会った少年二人が日本を代表するロックバンド創るなんて凄すぎます。GLAYのこの先の話も次回まとめたいと思います!!

続きはこちら【GLAY結成の物語】②GLAYのデビュー

ABOUT ME
かつ太郎
現在は千葉県在住の一般人です。 映画、ドラマ、アニメ、本から名言を収集するのを楽しんでいます。旅行やフィルムカメラも好きで色々と楽しんでいます。  家族の影響でGLAYがとても好きです。 そんな自分の好きなことを皆さんの参考になるように紹介していけたらなと思っています!