LIFE STYLE

【GLAY結成の物語】②GLAYのデビュー

はじめに

 前回はGLAYのリーダーTAKUROさんの幼少期からバンドGLAYが誕生するまでをまとめました。今回の記事ではそのGLAYがどのように成長していったのかをまとめていきたいと思います。

前回までの記事はこちらです。

【GLAY結成の物語】①GLAYの誕生

仲間

百年に一人の“神懸かりの声”

 さて3人でスタートしたGLAYにはまだボーカルがいませんでした。それはTAKUROさんがピンとくるボーカルが見つからなかったからです。本気でGLAYを育てようと考えていたTAKUROさんには、どうしても天性の“神懸かりの声”を持つボーカルが必要でした。

 結果から先にいうとボーカルを探す必要はなかったのです。最初からすぐ近くにいたからです。それは腰を抜かすほどの衝撃だったそうです。ちなみにBOOWYの『B-BLUE』を聴いた時も腰を抜かすほど驚いたそうです。

ある日、TERUさんの部屋に、練習で作った曲を入れたテープを忘れてしまったそうです。それはボーカル不在で曲だけを録音したテープでした。そのテープに自宅のカラオケ機材を使ってTERUさんが歌を入れて、翌日返しにきたそうです。

「歌、入れてみたんだけど」
歌が入っていないテープに、あいつの家にあったカラオケ機材を使って、自分で唄った歌を入れてみたというのだ。その曲を歌つきで聴いたことがなかったから、歌をつけたらどんな感じになるか、ちょっと聴いてみたかったんだとテッコはつけ加えた。

『胸懐』TAKURO

 TAKUROさんは早速そのテープを聴いてみました。

 なんということでしょう!!!

腰を抜かすほどの驚きでした。それはTAKUROさんが探し続けながら見つからなかった神懸かった声だったのです!!

「お前、ボーカルやれよ。俺、ドラム探してくるわ」    
テッコには僕の衝撃がいまひとつ伝わっていなかったようだが、その場の雰囲気に気圧されたらしく、とりあえず了解してくれた。僕は約束どおり、大急ぎで助っ人になってくれるドラムを探してきて、ボーカルのTERUが誕生する。

『胸懐』TAKURO

TERUさんがボーカルになったのでした。

HISASHIの加入

それからほぼ一年後、HISASHIをメンバーに引っ張り込むことに成功する。本名は、外村尚。仲間うちでは昔から“トノ”で通っている。

『胸懐』TAKURO

 HISASHIさんは高校一年生で自分のバンドを作ってライブハウスで活躍していたそうです。TAKUROさんとは高校二年生の時に同じクラスになって仲良くなったそうです。HISASHIさんの音楽嗜好はバリバリのパンクでバンド名は“蟻”でした 笑
TAKUROさんとHISASHIさんの考え方は正反対でした。

「そのTシャツ、どうして破いてるの?なんで安全ピンつけてるの?」
「パンクだから」って答えるから、さらに素朴な質問をたたみかける。
「僕は音楽を聴いて、涙を流すことがある。悲しいときに元気づけられたり、美しい旋律に感動したり、パンク聴いて、そういう経験したことある?涙流したことある?」
「それはないけど、でもパンク聴くと燃えるよ」

『胸懐』TAKURO

 HISASHIさんの返しが面白すぎて笑えます。この二人が仲良くなったのが不思議ですよね 笑 そしてHISASHIさんにはかなりの数の女の子のファンがついていました。TAKUROさんには、そのファンをごっそりGLAYにもらえるという目論見もあったようです。笑
 GLAYのメンバーのエピソードを知っていくと運命的な出会いが多くて本当に奇跡だなって思います。ドラマがあって感動的です。

こいつらと一緒なら、すごいことができるかもしれないという予感をさせる人間がいる。それが、テッコであり、トノであり、後に出会うことになるジロウだったのだ。

『胸懐』TAKURO

 高校二年生の終わりという頃HISASHIさんのバンドは自然消滅していました。そこでTAKUROさんは「君の才能を、もっと他の場所で生かしてみないか・・・」と、まるで自衛隊の勧誘みたいな感じで声をかけたそうです 笑
 そしてHISASHIさんが加入し五人編成となり現在のGLAYの原型が完成しました。

ライブを始めて半年もするとGLAYは函館市内でそこそこ人気のバンドに成長したそうです。

「いつか俺たちも、こんな人の海をみながらライブやりたいな」
誰かがそういった。
「できるよ」
誰かがそう応える。
それがGLAYの夢になった。
十年足らずでその夢が実現するなんて、それこそ夢にも思わなかった。

『胸懐』TAKURO

なんて熱い物語なんでしょうか・・・・。
成功した人の人生って本当にドラマチックですよね。本当に。

GLAYの東京進出

GLAYという終わらない夏休み

この夏休みを終わらせたくない。
僕たちが東京行きを選んだ理由を探すなら、つまりそういう気持ちがいちばん近い。

『胸懐』TAKURO

 GLAYメンバーは卒業を控えていました。それでもGLAYの今後についてはまともに話し合っていなかったそうです。卒業式の後に今後についてそれらしい話し合いが行われましたが、はっきりとしたことは決まらなかったそうです。どうせなら東京に出てみるか、というようなことまでは話し合ってうやむやになったとか。

 そんななか、TERUさんがいちばん最初に行動を起こします。東京の印刷工場に就職を決めたのです。そしてHISASHIさん一家も東京に引っ越すことが決まっていたそうです。
 ここでベースのヒトシさんとドラムのナカモトさんは将来のこともありGLAYを去ることになりました。GLAYは3人になってしまいましたが、TAKUROさんも東京行きを決意します。

 TERUさんと同じ印刷工場への就職を決め、1990年の春に東京に旅立つのでした。ビートルズの詩集を一冊だけ胸に抱えて。

世の中は甘くない

 いくら大きい夢があっても、固い決意があったとしても、あっという間に生活の中に埋没してしまう危険をいつも伴っている。生活するためには、働かなきゃいけない。そして、働くということは、もうこれはいうまでもなくみんなわかっていることだが、それが生活の中心になってしまうということだ。
 世の中はそんなに甘くない。
 そして、人はそんなに強くはできていない。

『胸懐』TAKURO

働きながらバンド活動を継続する大変さが伝わってきます。自分で自由に使える時間が少なく疲れた体で練習をするには意志の力を必要とします。バンドのことを考えTAKUROさんは日々焦っていました。このままじゃまずい・・・と思っていたのでしょう。そして音楽に専念できる環境に身を置くために三ヶ月で印刷工場を退職するのでした。

 上京していた函館の友達のアパートに転がり込んで、それからは、いわゆるバイトらしいバイトをいろいろやった。ビルメンテナスの会社に入って、ビル清掃をしたり、現場監督の助手をしたり、ペリカン便と、ビデオ屋の店員のかけもちもした。警備員の仕事もした。
 二人で決めた通り、テッコもそれから三ヶ月して辞めた。金髪でも雇ってくれるというので水道工場の仕事をするようになった。水道管を積んだ軽トラで、バンドの練習に来ることもあった。頭にタオルを巻いて、仕事着でスタジオに現れたテッコを見て吹き出したこともある。

『胸懐』TAKURO

バイトをしながらバンドの練習をする。GLAYにもそんな時代がありました。そしてTAKUROさんとTERUさんの信頼関係が素敵です。東京に出てきても夢を捨てずに努力を継続しています。

東京でのライブ活動

アルバイトをしながらバンドの練習も頑張っていたGLAYですが、東京での活動では現実は甘くないということをすごく思い知らされるものでした。TAKUROさんとTERUさんは東京にきて間もない頃一度、始発電車に乗って函館に理由なく帰ったそうです。東京での生活で自分を見失いそうになってしまっていました。

東京でのライブ活動は悲惨だった。ちっぽけな函館のライブハウスを満員にしていたあの頃が、まるで幻のように思えた。それが現実にあったことかどうか、無意識のうちに函館に戻って確かめたかったのかもしれない。それくらい、自信を失いかけていた。

『胸懐』TAKURO

自分なら大丈夫っていう自信のようなものって誰しも持っていたりしますよね。シンデレラストーリーを想像したりして夢をみる。けれども現実はそんなに甘くないということを感じたことは普通の人間の僕にだってあります。それで悩んだり落ち込んだりします。TAKUROさんも東京でのライブ活動をすればするほど、自信が粉々に打ち砕かれていきました。

GLAYの東京初ライブは、客がたったの二人だった。

『胸懐』TAKURO

 友達も知り合いもほとんどいない、東京での最初のライブだから、仕方がないといえばその通りだ。問題はそういう状況が、その後もずっと続いたということだ。
 二人入ったのはまだいい方で、客がゼロというライブもあった。九二年の正月のことだから上京して二年目に入っても、まだそういう状態の中でもがいていた。

『胸懐』TAKURO

 初めは仕方ないと思えても、二年目に入ってもそれが続くと心が折れてしまいますよね。バイトをしながら体に鞭を打って練習して、ライブをしてもお客さんはいない。自分たちは何をしてるんだってなりますよね。函館での自信を胸に東京に来たGLAYでしたが辛い日々が続きました。そんな毎日が続いてもGLAYが頑張り続けることができた理由をTAKUROさんは次のように綴っています。

テッコと、トノと、僕。三人の間に結ばれた絆が僕らの財産だった。
それだけは断ち切られることがなかった。
あの絆がなければ、GLAYなんてとうの昔に空中分解していたように思う。

『胸懐』TAKURO

 それは“友情”でした。GLAYのメンバーはとても仲が良く現在では、解散しないバンドと公言しています。友情は偉大です。
 そして、この頃のGLAYはメンバー不足に悩まされていて、ドラムとベースは何度も人が入れ替わっていました。ギターのTAKUROさんやHISASHIさんがベースを弾いたり、TERUさんがドラムを叩いてライブをした日もあったそうです。この頃のGLAYをTAKUROさんは“まるでツギハギだらけのジャケット”と表現しています。それでもGLAYを育てる為にライブ活動を続けていました。

僕らには結局のところ、音楽しかなかったのだ。

『胸懐』TAKURO

最後はやっぱりこれですね。好きだから辛いことも苦労も乗り越えてこられた。GLAYのメンバーは音楽を心から愛していたのです。

ジロウという新しい風

 地道な活動を続けGLAYはようやく東京にも慣れてきて、自分たち流のスタイルを作り始めていました。観客動員数は少しずつ増えていき、三つか四つのバンドが集まってライブをすれば三百五十人くらいは集められるようになっていたそうです。東京にきて三年近く経っていた頃でした。
 九十二年の秋にGLAYは憧れていた新宿のライブハウス「ロフト」への出演が決まりました。「ロフト」というライブハウスを僕は詳しくはわかりませんが、GLAYの大好きなバンドを輩出したところみたいです。そのステージに立てることを祝してTAKUROさんたちは函館から東京に出てきていた友達に声をかけてパーティをしました。そこにきていたのがJIROさんでした。

 ピエロという函館出身のアマチュアバンドがあって、そこのベースをやっていたときから“ジロウ”と呼ばれていた。
 学年は僕らよりもひとつ下、高校を卒業し、バンド活動をするために東京の会社に就職して上京したという経歴も僕らとよく似ていた。

『胸懐』TAKURO

 ピエロとGLAYは函館で共演したことがあり、面識はあったそうですがまともに話したのはパーティの時が初めてだったそうです。その頃ピエロは活動を休止していて、メンバーの入れ替わりが激しくベースを探していたTAKUROさんはJIROさんに声をかけました。そしてJIROさんはGLAYのメンバーの中に溶け込んでいき、GLAYの一員になりました。

 仕事を休んであちこちのライブハウスやインディーズのレコード会社に、デモテープを持っていったのも彼だった。
 ジロウはGLAYに吹き込んだ新しい風だった。新しい風が吹いて、GLAYという黄金の三角形は四角形に・・・、いや、完璧に四分割された美しい円になった。
 そして、GLAYは転がりはじめた。

『胸懐』TAKURO

そして、デビューへ

それは、忘れもしない九十三年十月十七日、場所は市川のCLUB GIO。千葉県市川市、総武線市川駅前にある、地下のライブハウスだ。

『胸懐』TAKURO

このライブの客席に、鮮やかな金髪の人がいました。

その金髪の人とは、YOSHIKIさんです。

ライブでの演奏を終え、楽屋に向かう途中にGLAYはYOSHIKIさんに声をかけられたそうです。そしてYOSHIKIさんの事務所でメジャーデビューの話をされるのでした。

この日、GLAYのデビューが決まったのでした! 

九四年の五月にプラチナムからのデビューシングル『RAIN』と、エクスタシーからのインディーズアルバム『灰とダイヤモンド』を同時に発売することが決まった。

『胸懐』TAKURO

 函館で生まれ、お母さんの影響で音楽に興味を持ち、ビートルズに衝撃を受けビートルズマニアになった一人の少年TAKURO。彼はビートルズのラジオを聴くためにサッカー部を退部しギターを始め、仲間と共にバンドを作りました。そのバンドはGLAY。素晴らしい仲間と出会い高校卒業後もGLAYを続けることを決心しました。東京に進出すると壁にぶつかります。お客さんはゼロ人から数十に程度。そんな日々でも挫けることなくメンバーの絆を力に、地道に活動を続けました。
 そして遂にデビューを果たすのでした。それは彼らが東京に出てきてから四年の歳月が流れていました。

 GLAYのデビューまでをまとめてみました。改めて振り返っていくとGLAYのことをもっと知りたくなってきます。デビューしてからも苦労は絶えず、成功のひとつひとつの間にはアマチュア時代とは比較にならないほどの深く暗い闇が横たわっているとTAKUROさんは綴っています。それでも活動を続け2019年はデビュー25周年の年です。GLAYのメンバーの皆さんは今でも愛を届け続けてくれています。そのことに感謝したいですね。

 GLAYの過去を振り返ってから『灰とダイヤモンド』を聴くとTAKUROさんの当時の思いなんかを想像したりして新しい発見があります。皆さんも聴いてみてはいかがですか?

ABOUT ME
かつ太郎
現在は千葉県在住の一般人です。 映画、ドラマ、アニメ、本から名言を収集するのを楽しんでいます。旅行やフィルムカメラも好きで色々と楽しんでいます。  家族の影響でGLAYがとても好きです。 そんな自分の好きなことを皆さんの参考になるように紹介していけたらなと思っています!